世の中は偏見に満ちている。
逆に、正論を言うもしくは真理をつけばそれは偏見の類に属される。
人は理解できないものをアウトオブ眼中するみたいですね。
この世の中は何が正解かなんてわからない。だからこそ疑似回答を作り正当化するしかないわけです。
そうすればどうなるか。共感数が多い回答が正解となる。
僕らみたいな一般的な回答に当てはまらない人は毛嫌いされるわけです。
今だってそう、金がある奴が偉い、地位が高いほど偉い、何か他人に崇められている人が偉い。というような人に生まれたなら人の頂点に立つような成功者になれと…
人間は弱い生き物です。ほとんどの人が他人なしでは生きていけません。
自分に自信を持てない人は何かにすがるしかないので、少しでも納得いく意見を脳内に刷り込み生きていくしかない。
◪本題
だらだら書きましたが、ここから本題です。
先ほども言いましたが世の中は偏見にまみれているので世の中の真理が霞んで見えないのです。
その中で、少しでも世の中をよくしようと思うならば真理に少しでもたどり着く必要がありますよね。
ここで、世の中の仕組みが少しわかったくらいでどうなるのか結局正解なんてないのだから好きかってやってやるわ。というのならばそれはその人の生き方なので肯定しましょう。
ですが、ほとんどの人が幸せ=笑顔で暮らせる世の中にしたいですよね。となってくると愛の受け渡しと似ているのですがたくさんの存在に愛を振りまく人が必要になってきます。愛は与えられると返したくなるものです。愛が欲しいなら与えろです。
となってくると、世の中の真理に近づける人は他人と比べようのない視野に広さを持っています。桁が違うので理解されません。当たり前です。
視野が広いということは多くの存在に気づくことが出来、その存在に対して愛を振りまくことが出来るということになる。
さらに、前の偏見に戻りますがそんな視野の持ち主はすべての存在を平等に見ることが出来ます。
例えば、何かを判断するときに顕微鏡を使うとします。観察するサンプルはさまざまな生き物です。
いざ、観察というときに人間だけピントがぴったりなのに他の生き物のピントはずれていたら全く判断材料にならないのです。
どんな結果であれしっかり現実を認めることが大切なのです。
かなりざっくり言うと僕が現在思っている世の中の真理に近づける人とは①視野がとてつもなく広い(広さに限度はない)②愛を多くの存在に与えることが出来る③すべての物事を平等に見ることが出来る。だと思っています。
まぁ③に至っては人は感情に支配されているので少し情が入ってしまうかもしれませんがなるべくフラットに見る必要があるということです。
◪余談
成功者って言葉が大嫌いです。そして、成功者からの言葉ですと言って胸を張って発言している人は何のつもりなのでしょうか。
自分のやってきたことを誇りに思うことはとても素晴らしいことです。ですが、たった30・40年生きただけの人が偉そうに他人に対してこうだよと発言している姿に寒気が走ります。
この世界広すぎます。広すぎて端がどこにあるのか知りません。もしかしてミラーで反射して広く見せられてるだけなのかもしれませんが…
そんな広大な世界を知らずにこのちっっっっっっっっっっぅtぅtっぅつぽけな地球で得た経験だけでマイク片手に他人に教えることなんて海岸の砂粒くらいです。
(狂っているわけではございません。ちっぽけさを表そうと思ったらこうなりました)
成功って何をもって成功なのかというところから自問自答したほうが絶対に良い。
なぜなら、結局は自分の人生なのだから。
自分が満足しているのなら今回の人生は成功したということになる。
世界が広すぎて絶望したことが多々ありますが、それでも人として生きていかないといけないので、僕はバカの人として他人の意見を取り入れながら生きていこうと思います。多分、人間の知能じゃ独りでやっていける人なんていないんじゃないかってくらい馬鹿なので潔く、プライドなんか捨てて他人の意見を受け入れていきましょう。それが自分の成功への近道です。
常に馬鹿であれ、勤勉であれ、そうすればきっと油断した隙を突ける。
それが人なのか地球なのか銀河なのか、はたまた自分なのかわからないけどね。