brainworld-gifted’s diary

gifted-train of thought

自由は制限下でのみ生まれる概念である

自由とはいったい何なのだろうか。

人間という生き物はロボットとは違うということを他の生き物とは違うということを証明するかのように毎日何時間もかけて思考を巡らせる。
その思考内容は問わない。


自分たちが存在する世界は一体何処にあり、何があるのか。
特に、必要以上に思考回数を施す人間にとっては難しいだろう。
何故なら、考えすぎるからだ。

 

考えの先にあるのは無か有か。
はたまた、何か違うモノか。
思考の先は読めない。
だからこそ、人間という生き物は闇にも光にも染まる。
他の生き物だってそうだ。

何かがあって初めて存在できるものがある。
例えば、表がなければ裏は存在しないのだ。


この例を参考にして自由を考えてみよう。
自由とは自分の思うままに行動し誰からの干渉も受けない区域。
例え、世界が崩壊しようと関係ない。
これが、私の僕の世界なのだ!

一般的な解釈はこれでいいかな?(合ってるかわからないが…)

そして、何故自由と思うかについて考えてみる。
制限がある生活があったから自由になりたいと考え行動に移す。
つまり、制限がなければ存在しないのだ。

例えば、過去の記憶を全て消された人が広大な砂漠へ一人置かれたとする。
これは自由なのか。
私たち人間が見れば自由でしょって思うかもしれないが、制限がある生活をしている者の視点だからそういう考えに至るのだ。

何よりも、制限がない自由というのはすべきことが膨大にあるせいで何からしていいかわからず、戸惑う。
人によってはやるべきことをさっさと見つけて自分のすべきことを全うしていくかもしれないが、それは長続きしないだろう。
制限のない世界の中で行う行動すべてはやがて目的を見失ってしまうからなのだ。


グループや国を作ったり、面白くないからルールを作って遊びをしだす。
人は制限があっての自由だということを理解するとより人生を楽しめるかもしれない。
何故なら、やるべきことが見えてくるかもしれないから制限があるから今があると考えるとストレスも少しは軽減し新たな挑戦をしようという気持ちが生まれるかもしれないから。



ここまで、話したことは制限があるから自由があるということ。
そして、制限は全ての事柄に関与している。

寿命があるから命の尊さを知る。
長期休みの期間はいつも以上に楽しめる。
一日が24時間だからどうやって一日を過ごそうか考える。
〇〇が好きだから〇〇をしようと考える。
自分の考えはこうだからああしよう。
ある作品を美しいと思える。

私たちが暮らす日々の生活は制限の中でしか生まれていないのだ。
そして、その制限を作っているのは自分たちなのだ。
安心しないのだろう。

何故なら…

それが無くなったとき…
全てが『無』になるからだ。




この世の全ては何かが定義されているから何かを定義できるというように相対性に満ち溢れていて点と点のようにみえて全て線で繋がっているのだ。

一見、違うように見えても繋がっていたりするものなのだ。




誰だって自分の好きな人生を歩みたいものだ。
しかし、そう簡単にはいかない。
だからこそ、自由を求める。
求める声が多いからこそ、自由という概念が生まれた。



全ては諸刃の剣なのだ。
自分たちが望む平和や自由の世界が実現したとき、本当の恐怖が待っているのかもしれない。
だからこそ、程よくストレスは感じていたほうがいいのだと私は感じている。
それに、全てなくすということは不可能だから…



生き物はその生き物なりの生き方しかできない。
思いあがらず、ただただ日々を全うすることが一番簡単なようで難しいこの世の中で、自分たちはどのように行動していく?



考えることから逃げた生き物に生の価値はない。