brainworld-gifted’s diary

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幼稚園に対しての疑問

人として生まれた私は人として生きていかなくてはならないのです。だって人だもの…

 

 今回は、昔体験した話をしようと思います。

 皆さんはいつからこの世界に仕組みに疑問を持ちましたか?

 

 世界と大きく言いましたが今回、私が話したいのは幼稚園についてです。多分、ほとんどの方が。幼稚園もしくわ保育園に通ったことがあると思うのですが…そこでどう思いました?

 

 私が園児の頃、幼稚園までは家から指定されたバス停に行き、専用バスに乗り幼稚園付近に降ろされた後、幼稚園まで手を繋いでで歩くのですが、この手を繋いで歩く行為が本当に理解できませんでした。←馬鹿にしているのかと…

そう思った私は従わず知らないふりをしていました。そうすると、先生が強制的に手を繋がせるのです。それに対しても意味が分かりませんでした。

 

 その当時、私は私の人生は私が決めるのに何故他人である先生が干渉してくるのかわからない!そんな気持ちでした。先生という存在はわかるけど他人の人生を干渉するほど偉くもないのになという気持ちが消せないでいました。

 私は何度も先生の指示を無視しました。何故ならの私の人生だから…

 

 でも、「出る杭は打たれる」という言葉があるように私はかなり怒られました。何度も繰り返していくうちに私は指示に従い他人と合わせないとこの先うまくやっていけないんだなと悟りました。←これが普通になろうとする要因の一つ!

 それからというもの、そんな仕組みを理解できないほど馬鹿ではないので従いつつも一人で他人観察をする毎日を送っていました。寡黙であまり笑わない奴だったと思います。

 

 幼稚園での生活は基本的に皆でやらないといけないこと以外は独りで他人の真似したり人間観察が日課でした。そのため、ママ友による交流が無ければずっと独りぼっちでした。

 卒園間際に二人一組になってお互いの絵を描く時間が始まりました。毎日独りぼっちの私はもちろん余りものになり、周りを見渡すと全く同じ状況の子が一人いたのでその子と組みました。その子は今何しているのか知りませんが、見つけた時とても近い存在なのだと感じました。それが結構うれしかったですね。

 

 よく大人たちもしくわ大きくなった若者たちが小さい赤ちゃんや子どもを見て可愛いという姿が私はとても不快感を覚えます。その姿はペットショップに行くとよく見られます。

 子どもや赤ちゃんをその人たちはどういう視点で見ているのかわかりませんが一人の尊い人として見ている人は本当に少ないでしょう。さらに悪いパターンは私有物化している方ですよね。

 

 ここで初めの話に戻るわけですが、園児に手を繋がせたりかわいい衣装を着させたりすることはただの大人のエゴでしかない!そんなエゴに付き合うほどこっちは暇じゃないんですが…

 

 本当にどっちが大人かわかりませんよね

 まぁ今回はこんなところで終わります。