見えない壁
◪周りを見回した時、そこに人はいますか。その人を信用できますか。
私は今まで一度も自分を理解してくれる人に合ったことがありません。人は孤独に弱い生き物です。独りの時間が好きな人はいるかもしれませんが孤独が好きな人は本当に少ないと思います。孤独と友達になれる時が来ればその人は天才になったんだなと私は思っています。
・人は近くにいるけれど…
私は表面上で人とうまく接することが出来たので学生時代はそこまで孤独という存在がすぐ隣にいた事に気づかないでいました。何故なら、軽い関係ではあるが友達を作ることで孤独を紛らわすことが出来ていたからです。
私は小学校2年の時に他人と何かが違うことがわかっていた。なので、友達になるには普通に振舞うしかなかった。でも、高校2年の時に気づいた『結局、私の事を理解してる・してくれる人はいなかった』と…
薄々は気付いていたけれど希望は捨てなかったまだ10代だからとか言い訳を付けて。
そして、年齢を重ねていくうちに私は本当に独りぼっちなのだと気づいた。高校生の時は人と接しては家でため息なんていうのが多くなりました。他人の目や言動に対しても過敏に反応し社会にびくびくしだすようになりました。
・誰も入ってこれない領域
このように私には見えない壁があって誰も入ってこられないのに外側を見れば他人同士が楽しくしているというイメージで描いてみました。
今まで、入って来ようと何人かきましたが私が心を開いて自分の深層部分を出すと顔から見て引いているのが一目瞭然です。私は何人かに試して全員同じ反応をしたので諦めました。
・独りぼっち
若者は行動力が人よりあると褒められます。ですが、一人ではなかったりします。
私は独りぼっちです。誰も理解されない者です。昔より独りで出来ることが増えました。東京旅行、映画館、ラーメン屋など…まだまだですがこれからもっと一人でやっていかなければいけないことが増えるでしょう。
昔マリオパーティーというゲームを買って結局誰とも遊ぶことなく独りで遊んでいたことはいい思い出ですね。
最近では、SNSで同じ悩みの人と接することが増えました。他人と共感する事で孤独感を抑えられるのかもしれない。でも、文字のエネルギーで共感し嬉しくなるのですが結局は間接的な関係でしかなく、直接的ではない。
私は欲張りだから直接的な関係がほしいと思ってしまう。でも、SNSはかなり深い所まで話せたりするので直接的な関係になっても私は孤独を感じてしまうかもしれない。これは意外と性別が関係あるのかなと思ってみたりするのです。
結果として、私は生涯、孤独と生きていかなくてはならないと思っています。今はまだ仲良くなれず孤独が襲ってくる事がたびたびあります。いつか、そんな孤独と仲良くなれる時が来ればいいなと思っています。
NARUTOでいうナルトとクラマのような関係になれたらいいなと思っています。
ですが、人を頼ることがこんな私たちの生き方では最も大切になるんですよ。
自分を表現する事に妥協をしたくなかったら人を頼るしかないんだよ。
だから、私は『孤独を愛し、人を愛し、世界を愛す』この言葉のようにすべての存在を愛する事が私たちギフテッドの宿命なのかなと思うのです。
絶望はするのは当然です。私たちの心はとっても綺麗なのだから…
その中から希望を見出せた者だけが前に進むことが出来る。見出せた者だけでいいのです。無理せずゆっくり歩いていきましょう。